深紅に染まりしはの籠











第五十一話





今までは普通の剣で切られるだけだった。
あんな・・・あんな風にぐちゃぐちゃにされたことは無かった。

しかも痛みの比が今までと比べ物に為らないほどだった。

ぼんやりと石畳の上に横たわりながら涙を流す。
涙腺が壊れたのか気付くといつも涙が流れている。


初めてこの部屋に連れてこられてからどのくらい経ったのか菊代には分からない。
何せ日の光など入るわけも無い地下室。
することも、できることも無いので一日中ぼんやりと疼く痛みに耐えながら横たわっていた。
眠くなったら寝て、目が覚めたら目を開けたまま横になっている。
最早、昼も夜も分からなかった。


時折気付くとグリューラが食事を持ってきてくれる。
気付かないうちに料理の乗ったプレートが傍に置いてあって、あれ?と思うことも多々ある。

手枷などは外してあり自由に動けるが気力が湧かない。
指先一本動かすだけで一苦労。








「・・・聖女様」
グリューラは菊代の傍に食事を置くと膝を付き俯く。
ゆっくりと視線だけ上にすると鬼気迫る表情のグリューラが居た。

「聖女様・・・このままでは駄目です」
「・・・・」
「逃げましょう。ここから」



その言葉は何度も反芻してから漸く鈍い思考が理解した。



何とも甘い言葉。



しかしそのようなこと出来るのなら初めからしていた。

すぐに無理なことと、落胆して目を閉じる。






諦め切った菊代を見てグリューラは励ますかのように意気込んで話す。


「3日後、旦那様は珍しくお手掛けになられ、夜遅くまでお帰りになりません。
夜に行動を起こしましょう。
警備の者が巡回しておりますがそれは少数ですし、巡回の場所は規則的です。
巡回されていない場所を通って屋敷を出ることが可能です」

微かな希望の光が見えたその言葉。
しかし、どうしても不安は拭いきれない。

「でも出た後は・・・・?」
「大丈夫です。信頼できる方がいらっしゃいます。その方に保護してもらうことになっております。お名前はリランカ様です」
「リランカ・・・さま・・・でも・・・私を連れ出したのがばれたら貴方は・・・」
「大丈夫です。私は実家に逃げることにしますので。そしてそのリランカ様は旦那様を捕らえに来たのです」
「え?」
「国ももうほうっておけないほどになってしまったのでしょう。では三日後、夜にお迎えに上がります」
「・・・本当に・・・いいのですか?」
「はい・・・もうこれ以上見たくないのです」











「こちらです」
グリューラが用意したのは動き易く、暗闇に紛れ易い黒いズボンにシャツ。
白い髪の毛は目立つので頭に布を巻いた。

グリューラもいつもの制服ではなく、同じような衣類を身に纏っていた。



静かにドアを閉めると足音を立てないように慎重に歩を進める。
だが、最近はまったく動かない菊代は体力が落ち、少し動くだけでも息が切れる。
しかし、何とか付いてゆく。

この地獄から抜け出せる。

その希望が菊代に力をくれる。


角から顔を少しだけ出して左右を確認し、誰も居ないのを確認すると素早く曲がる。
窓から差し込む青みがかった月光が行く先を照らしてくれるので転ぶ心配は無い。


5分程歩くと厨房らしき場所に入った。
グリューラは息を吐くと、菊代を安心させるように笑顔を浮かべた。


「これから通る道は警備兵は見回りに来ません。ご安心を。あと少しで外に出られます」
「はい」
額の汗を拭い、ほっと菊代も息を吐く。
全身に力が入り知らずに強張っていた。


厨房の奥に扉がありそれをゆっくりと開ける。
すぅと冷たい外気が流れ込み布から零れた白い髪の毛を微かに揺らした。
僅かな隙間から辺りを窺い後ろを振り向き菊代の目を見ると頷く。
菊代も頷き返すと音を立てないように扉を開けた。



「さぁ、お早く」
「はい」

手を引かれて早足で建物の裏を走る。
角を曲がり、業者などが出入りする裏口まで来た。
向こうは鬱蒼と繁った森が続いていて不気味だが、ここにいるよりはマシだ。

どくどくと心臓の音がうるさい。
やっと、やっと・・・。


がちゃがちゃと鍵を開けているグリューラの背を見つめる。


早く。


早く。







「あきました」


笑顔で振り向いたグリューラはすぐさま目を見開き硬直する。



顔が青ざめたように見えるのは月のせいか?











「やぁ」



ぞくりと悪寒が走り、震えだす。







「・・・・旦那・・・様・・・・」



そこには月の光を背にして、逆光の為顔を真っ黒に染めているクェルが立っていた。









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