深紅に染まりしはの籠











第四十九話



このサイクルが続き、約2ヶ月が経った。
その間に菊代は数えられないほどの痛みに耐えた。
日に日に精神力、体力共に衰えてきて治癒力も落ち、怪我の治りが悪い。
しかし、怪我の治りが悪いので、クェルに拷問される日も遠のいた。

クェルが扱うのは治癒力を促進させる術。
元の治癒力が落ちれば術の効果も落ちるらしい。


疾うに希望を失い、後何回耐えればいいのだろうと思った。


涙腺が壊れたのか、突然涙が溢れて頬を伝う。
悲しくないのに涙が零れ落ちた。











元より肉付きはよくなかったが、それと比べても日が経つにつれて痩せ細る美しき女性。
初めて見たときから悲しい色を、疲弊しきった色を、美しい瞳に宿していたが・・・。
今は・・・何もうつしていなかった。

日に日に表情は消え、生気は感じられなくなり、まるで精緻な人形のよう。
めったに動かず、茫然と大きな出窓に背を預け、窓に頬を当てて外を眺めているだけ。
否・・・眺めてなどいない、瞳が外に向いているだけで何も・・・捉えていなかった。

言わないと何もできない女性。
食事や排泄、睡眠さえ声を掛けなければ殆どしない。
ぼうぜんと座っているだけ。

だが、あの行為になると・・・違う。
泣き叫び、恐れ戦き、仕打ちに耐える。
重厚な作りの扉からでも漏れてくる叫び声に何度震えたことか。

人形が唯一感情を露とするのは残虐な行為の時だけ。

なんと哀れな事なのだろう。







この衰弱の仕方は常軌を逸していたのだ。
現実世界での衰弱よりも酷い状態。
確実に菊代を殺していった。






菊代はふと、果物の傍に置いてあったナイフを見た。
鈍く光るそれ。

一瞬だけ考えると口を開いた。


「グ・・・リューラさん」

菊代は自分が発した声に首を傾げた。
こんなにも自分の声は小さくて掠れてただろうか?
よく覚えていない・・・自分が声を発するのは夜のあのときだけ。
・・・あれは声とは呼べない。

「!は、はい!いかがなされましたか?」

ここのところ、まったく声を掛けない菊代が声を掛けてくれた。
グリューラは持っていたベットカバーを放り出して、駆け寄った。

「アマツィ・・・という、果物が・・・食べたいんですけど・・・・」
「わかりました!すぐにお持ちいたしますわ!」
「あと、温かいスープも」
「はい!お待ち下さいませ!」

嬉々として部屋を出て行った彼女。
ドアが閉まるのを確認して、ナイフに手を伸ばした。

綺麗に磨かれたナイフには自分の顔が半分だけ映っている。

軽く手の甲に押し当てて躊躇せずに横に滑らせる。
ちり、とした痛みの後に赤い雫がぷっくりと盛り上がった。

・・・全然痛くない。これなら紙で指を切ったほうが痛い。
簡単に苦しみから逃れられそうだと気づいた菊代は笑みを浮かべた。


嬉しそうに笑うと喉元にそれを充てがい・・・勢い良く引いた。

途端に溢れる鮮血。
じんと、した痛みしか感じられない。


(・・・アイツにされるときは痛いのに・・・なんでだろう?」

ナイフから手を離すと床に落ちた。

ねっとりとした液体が体を伝い落ちる。
・・・ゆっくりと血を体で感じたの初めて。

血って・・・温かいんだ。

あのときは何も考えられないから知らなかった。


テーブルクロスや沢山余っている料理に血が飛び散る。
冷えてゆく手足を感じながら、俯いた。


(ヒュア君・・・ルル・・・やっぱり・・・駄目。もう・・・無理)



許して。
死ぬことを。



前は死ぬことよりも2人に会えなくなることの方が恐怖だったのに。
なんと脆い決意だったのだろう。


ふと、菊代は思った。


あちらの世界で死に切れなかったのは・・・二人に会えなくなることが怖かったから?





ふ、と自嘲の笑みを浮かべると瞳を閉じた。


(なわけない。あのときの私は死より小さな痛みに恐れていた。こんなことで自分の考えを掏り替えようとするなんて・・・なんて厭らしい女)

息を吐くと体の力を抜いた。
溢れる鮮血が体を真っ赤に染め上げていた。

(やっぱり自分のことが一番。自分の幸せが一番。醜い・・・こんな私が・・・あの美しい2人に会えるわけが無い)

2人に出会うことよりも自分の楽になることを取った。
あぁ・・・2人に合わせる顔が無い・・・。


(どうせ・・・死んだら会えないけど)


だが、死ねばこの苦しみから逃れられる。
その事実を改めて感じるとじんわりと胸に広がる久しぶりの感情。

やっと、やっとだ。

死ぬにしてはとても穏やかな気持ちのまま意識は途絶えた。













ぱぁん!
「っ・・・・」
鋭い痛みを頬に感じ、瞳を開ける。
熱を持った頬を感じながら首をゆっくりと動かすと、目の前の光景が捻れた。

そして体中を襲う鈍い痛みの嵐。

気付いたときには赤黒い痣だらけの細い腕。
その上を踏みつける足。

何かが折れる音がして、悲鳴を上げる。


「悪い子だね。自分で命を断とうとするなんて」

思いっきり蹴られて転がる。


・・・なるほど。
先ほどの体中襲った痛みは蹴られていたのか。
そう思った瞬間には鳩尾を蹴られて背中を壁にぶつける。

「っ・・・・ぅ・・・・ぁ・・・」

息が詰まり悲鳴も上げられない。

にしても・・・痛い。
とても痛い。


「まだまだ終わらないよ。お仕置きだからね。命を奪うのは私の最高の楽しみなんだから。それを奪っちゃ駄目じゃないか」


無表情で淡々と言う。
悪寒が体を駆け巡り・・・戦慄した。







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