深紅に染まりしはの籠












第四十三話




「・・・・ん・・・」
寝返りを打ち壁側へ顔を向けるとベットが微かな軋みを上げた。
大きな出窓からたっぷりと光が差し部屋全体を明るくしている。

菊代はゆっくりと瞼を開くと数度瞬きをした。


そして首を部屋の方へ向けて、部屋全体を眺めた。


(・・・夢・・・じゃなかったんだ)

広々とした部屋には自分の部屋ではありえない調度品の数々。
自身が寝ているベットも自分の部屋の物より大きい。
どこかの高いホテルの様な部屋で菊代は目が覚めた。


昨夜はお風呂に入ると早々にベットに入った。
ヒュアはこの世界と菊代の世界の違いを沢山教えてくれた。
そのことからこの世界の文明はまだまだ古いということが簡単に分かる。

勿論布製品の技術もそこまで進んでいないだろう。
ということはあまり寝心地が良くないのだろうと思った。

中々寝れないのだろうな・・・と思いながらベットに触れるとふかふかで、予想くを上回る寝心地の良さにすとんと眠りに落ちてしまった。

お風呂も思ったよりは綺麗で吃驚だった。
想像していたがやはり風呂を手伝うとグリューラが申し出たが全力で却下した。



ベットから降りると薄い布で出来た靴を履く。
どうやらこの中世の様な世界では、このような薄い室内専用の履物を履くらしい。

そういえばよく思い出してみると玄関に並んでいた女性達も靴ではなく、この様な布で出来た靴を履いていた。
靴のまま移動するのかと思っていたので少し驚いた。


柔らかな素材で出来た履物を履き、隣の部屋に向かう。
そこには風呂と洗面所が兼ねられている。

洗面台には大きな鏡があって、白髪の自分が映った。
まだ数度しか見ていない為、変な感じがする。
じっと自分の顔を見つめながら落ち着いて思考する。

ヒュアの名前は知られていないし、王子も居ないと言う。
だが、国名は同じ。
文化も少し違うところもあるが・・・似ていると思う。
きっと何かの間違いなんだ。

そうだ。
きっとそうだ。

そう思うと一つ頷いた。


・・・そう思わないと、やっていけなかった。


せっかく見つけた希望の光を失うなんて事・・・菊代にはできなかった。






洗面台の上には銀色の大きな洗面器が用意されていて、鏡の下には銀色の長方形の薄い小さなレバーらしきものがあった。
それを上に少しだけ持ち上げると、レバーの真下にある細長い筒から水が出てくる仕組み。

洗面器に溜めた冷たい水で顔を洗いタオルで拭う。
横に置いてある櫛を拝借し、髪の毛を梳かす。
紐があったのでそれで括ろうと試みたのだが、ぎゅっと縛ってもしっかりと髪の毛を縛れなく、ゆるく纏めただけのような感じ。
軽く頭を振ると少しずつ紐は下がり、簡単に手で取れてしまう。
数回試したが全て同じ結果なので諦めた。

洗面器に余った水は風呂場に流す。
排水溝らしきものがあるのできっと大丈夫だろう。





部屋に戻り、洋服に着替えようと思いクローゼットを開けた。

そこには色取り取りのドレスが仕舞われていた。

「わぁ・・・すごい」
昨夜、グリューラがここから寝巻きを選んでいて、この部屋にある全ての物は好きにして良いと聞いた。

適当にドレスを選ぶ。
腰からふんわりと広がるドレスが多かったが、膝丈のシンプルなドレスというには少しばかり質素な感じのするワンピースもあったのでそれにした。
水色の生地は肌触りがよく、胸元に大きなリボンがあって可愛らしい。
プリーツ型のスカートの中にはペチコートらしき物があり、それでスカートを軽く膨らませているようだ。
他の服も見てみると、どれもたっぷりとしたボリュームのあるペチコートがスカートに下にあった。

引きずる様な長いドレスばかりじゃなくて良かった。


ハンガーってやっぱりあるんだ、と思いながらそのワンピースを取る。
普通より高い位置にある為少し取りにくかった。

肩紐を解くと体を伝いすとんと寝巻きが落ちた。
こちらの世界の下着は全部・・・紐で結ぶ形の物だった。
何かの拍子で紐が解けないのかと思ったが、しっかりと結べてその心配は無さそうだ。

ペチコートを履き、リボンを解き、沢山付いているボタンをぷちぷちと外し、被る。
「・・・チャックとかが無いからボタンで留めるのが主流なんだろうな」
今度はボタンをつけると胸元のリボンを結ぶ。
結んだら・・・へんてこな形になってしまったのでもう一度結ぶと綺麗に出来た。

少しだけサイズが大きいが、まぁ大丈夫だろう。


ふんわりと軽い素材だと思ってたが少し重い。
やはり現代の技術は凄いんだなとしみじみ感じていると、お腹が鳴った。

「・・・お腹すいた・・・」

あちらの世界では殆ど感じることは無かったのに・・・。

こちらの世界に来てから、何にも反応を示さなかった菊代が以前と比べてしまうと頼りないが、普通の反応を示している。
その変化に気付いた者は誰も居ない。




何かあったら鳴らしてくださいませと言われていた壁に備え付けられているベルを鳴らす。
紐を引っ張るとベルが左右に揺れて、微かな音を発した。

すると、数秒で部屋にグリューラが現れて恭しく礼をした。

「おはようございます聖女様・・・聖女様!?お着替えをされましたのですか!?」
「・・・え、あ、はい」
下を向いていたグリューラが慌てて顔を上げるとそんなことを言った。
この部屋の物は好きにして良いと聞いていたから勝手に着てしまったのだが・・・。
やはり駄目だったのだろうか?

「申し訳御座いません!聖女様のお手を煩わしてしまい・・・!」
「あぁっ、土下座しなくていいですから」
土下座をしようとしたのか床に膝を付こうとしたグリューラを必死で止めさせる。
こちらの世界にも土下座の文化があるのか。

肩に触れた瞬間また、びくりと強張るのを感じて切なくなった。


どうやら洋服を勝手に着たことに対してではなく、洋服を着用する時、手伝えなかったことに対して嘆いていたらしい。
そういえば身分の高い人物は侍女や召使に身の回りの些細な世話でさえやらせる。
この世界もそうなのだろう。

勿論そんなことをされたことの無い菊代は最初気が付かなかった。


「大丈夫です。私は身の回りは自分でするので。分からないことがあったらお聞きします。その時は宜しくお願いします」
「寛大な心に感謝いたします」
「・・・あの、すみません。お腹が空いて・・・簡単な物でいいので何かもらえないでしょうか?」
「はい。すぐにご用意いたします」
目に涙を滲ませていた彼女はさっと立ち上がると綺麗に礼をして部屋から去った。

そこでふと思った。

「・・・私・・・この家での位ってなんだろう」

普通人身売買で買われた人間は愛玩されるか、奴隷の様に働かされるのが多い・・・と思う。
後者ならこんな良い部屋にはまず住まわせてくれないだろう。
前者ならまだありえるかもしれないが、普通買った日から夜の相手をするもの・・・だろう。
多分。

それが無いということは前者でもないのだろう。


ちらりと自分の胸元に垂れている髪の毛を見る。
白と黒は聖なる色・・・。

それを身に宿す自分はこの世界では身分が高いらしい・・・。
でも人身売買される人間は普通身分が低い。
か、訳ありだろう。

だが、これだけ良い待遇をされているということは位が高いのだろうか?
それともそれは最初だけで時が経つにつれて酷い扱いをされるのだろうか?

「・・・分からなくなってきた」
ふぅ、と溜息を吐くと張りのあるソファに座る。
背を預けると、ドアを叩く音がした。
「どうぞ」
「失礼します」
扉が開くと、カートを押しながらグリューラが現れた。
思った以上に早かった。

カートからは良い香りが漂い菊代はとりあえず考えるのを止めた。







「・・・色鮮やかですね」
「そうでしょうか・・・・?」
テーブルに所狭しと並べられた料理の数々。
見慣れた物もあれば未知の料理まで様々なそれらは色が濃い物が多い。

まず、唯一薄い色の黄色のスープを少量口にした。
具材は紫色の人参と真っ青なキャベツらしき物で食欲を削ぐほど色が濃い。
しかし、口にしてみると、魚出汁の和風の味でさっぱりしていて美味しい。

「・・・美味しいです・・・・・これは?」
「そちらの料理はルカントの肉を固めた物にリコとツイのソースをかけた物です」
「・・・」
肉の色は普通に焦げ茶色でルカントという肉のハンバーグみたいだ。
ルカントとは、どんな動物の肉だろう。

ただソースの色が・・・変。
ショッキングピンクと青いソースが十字に掛かっているのだ。
着色料で染めたんでは・・・と思うほど毒々しい色。

恐る恐る口に運ぶとふんわりと濃厚な味わいが口に広がった。
少しだけ酸味のあるソースは濃厚な味の肉とよく合っていて丁度良い味わいになっている。


赤や黄色、青や緑といった色鮮やかなサラダはクセの少ない野菜ばかりで、掛かっていたドレッシングは和風ドレッシングに近い味でとても食べやすかった。

見た目によらず、さっぱりとした和風な味付けで美味しくいただけた。
ただ、一品一品の量がとてつもなく多いので半分以上は残してしまった。
それにお腹は空いていたが2人が居なくなってからにしたら・・・だ。
2人が居た頃に比べたら全然食欲が無い方だろう。
「すみません・・・もうお腹が一杯で・・・」
「御気になさらず。デザートもありますが、どういたしますか?」
「何か・・・さっぱりとした果物があれば・・・いただけないでしょうか?」
「かしこまりました」







食後のお茶はほんのりと甘く、さっぱりとしていた。
ふぅ、と息を吐くと扉をノックする音が聞こえた。
「どういたしますか?」
傍で控えていたグリューラが逸早く反応し尋ねる。
「大丈夫ですよ通しても」
「かしこまりました」
礼をすると扉を開き、来客人物を確認する。
高位の人物が来たのか扉の前に居た人物を見た途端目を見開き、さっと扉を開けて頭を垂れた。
何に怯えているのか顔を真っ青にして冷や汗を掻いている。
「やぁ」
「あ、クェルさん」
突然の来客はこの屋敷の主人のクェルだった。
水色のシャツに茶色のベスト。
焦げ茶色のズボンを履いたやっぱり現代風では無い恰好で現れた。

「そのままで良いですよ」
立ち上がり掛けた菊代をやんわりと制し、自分も向かい側に腰を下ろした。
「この部屋は気に入っていただけましたか?」
「はい」
「まだ不安なこともあるでしょうけど、心配しないでください。ここに居れば安心ですから」
「ありがとうございます。それで・・・あの・・・私は何をすればいいのでしょうか?」
「お好きなようにどうぞ。宝石が欲しければ宝石商を今すぐ呼んで差し上げましょう。楽を聞きたいのであれば今すぐ呼び寄せましょう。
ただ、この部屋からは絶対に出てはなりません」
「え」
先ほど考えていた自分の位が余計分からなくなった。
何だ、それは。
屋敷に住まわせて、遊ばせる・・・それだけ?

「では失礼しますね」
口早く説明するとさっと立ち上がり菊代が口を挟む前に部屋から出て行ってしまう。
こういう場合、扉を開閉したりしないといけないのでは・・・?と思ったが、クェルは気にしてないようだった。
「・・・グリューラさん?顔色が優れないようですが大丈夫ですか?」
「・・・あ・・・申し訳御座いません・・・大丈夫です。御気になさらず」

クェルが去った後も体調が優れない様子のグリューラを心配した。
グリューラは大丈夫ですと言うだけでそれ以上は何も言わなかった。






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