誓契

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番外編


上流貴族の中位に位置するアダソン家はウェル王国の西南の土地を治める。

その末子で生まれた男の子、ウェルデ。

アダソン家当主であったウェルデの父、ガネフィは大の女好きで、妻は全員で13人も居た。
勿論子供も大勢生まれ、男は11人。
女は17人もの子供が居た。


ウェルデの母、レシーナは若い頃はそれはそれは美しい容姿をしていた為、平民にも関わらず、ガネフィに見初められアダソン家と婚姻を結ぶことができた。

しかし、子宝には恵まれず、時だけが過ぎ去った。

瑞々しい肢体や美貌は急速に衰え、当主の寵愛も他の妻に移り気な頃、待望の赤子を妊娠した。
しかしガネフィはレシーナに見向きもしなかった。
レシーナに向ける愛情はもう枯れていた。


ウェルデは勉学にしても剣術にしても魔術にしても才が無かった。
唯でさえ身分が低く、数多く居る妻たちの中で息の詰まる思いだったのに、心の拠り所のガネフィは新しい妻に惹かれてゆく。
自慢の美貌は時の流れに抗えず衰えていく。
レシーナの中に積もる苛立ちは実の子であり、できそこないのウェルデに向けられた。



他の兄弟は慈しまれ、大事に育てられているのに自分だけは愛しい母からの愛情が無い。
他の兄弟にも疎ましがられ、ぞんざいに扱われる日々。
そして何をしてもうまくいかない落ちこぼれな自分。
手を伸ばしても叩き落されるだけ。

彼は枯渇していた。




しかし、7歳のとき、ある少女がウェルデ付きになったことで彼の人生は大きく変わってしまう。





その少女の名はシア・フェネル。



アダソン家が治める土地の農家の娘で、今年成人したためアダソン家に奉公しに来たのだ。








「ウェルデ様」
薄茶の髪に瞳。
癖のある髪の毛を耳元で縛り、侍女の簡素な制服を身にまとった別段美しくも可愛くもない、どこにでもいる少女。
成人はしたが雀斑の散った顔はまだ垢抜けない。

その少女は初めてウェルデに優しくした女性だった。



あっと言う間に少女のことが大好きになったウェルデはいつも少女の傍にくっ付いていた。


「シア、僕、シアのこと大好き。世界で一番好き」
「あたしもウェルデ様のこと好きですよ」
「そんなこと言ってくれるのはシアだけだよ」
手を伸ばせば優しいシアはそっと手を握ってくれる。
嬉しくてウェルデはいつも抱き着いてしまう。

母みたいに細くてしなやかで綺麗ではない。
節ばっていて、荒れているし、爪の形も悪いしカサカサしてる。
それでもその手は触れてると物凄く安心できた。

望んでいたものがやっと手に入ったのだ。

叩き落されないのだ。


「あはは、ウェルデ様は甘えんぼさんですね」
「シアにだけだもん」
「あらら、そですか。それは嬉しいですね」
シアは最初はよそよそしかったけど、日にちが経つにつれて明るい笑みを見せてくれるようになった。
シアがいるから、シアが居てくれるからお母様になじられても兄弟に馬鹿にされても平気だった。

それからだろうか、ウェルデはまったく駄目だった勉学に魔術・方術に才能を芽生えさせた。
とくに方術の腕は目を見張るものだった。


兄弟の末。
年だけでハンデがあったのにも関わらず、あっと言う間に兄たちを追い抜かし、ウェルデに敵う者は居なくなった。



今まで見向きもしなかった父は声を掛けてくれるようになった。

ウェルデのことを疎んでいた母は驚くほど優しくなった。

今まで散々自分を貶していた兄弟たちの態度もまるっきり変わった。


小さいころ欲しかった愛情を注いでくれるようになった母だったがちっとも嬉しくなかった。

逆に今度は気持ち悪いほど構ってくるようになった母が疎ましく感じた。

父がウェルデに関心を向けると同時に、今まで離れがちだったレシーナにも愛情を向けるようになったのだ。
それが母は凄く嬉しいんだろう。



そんなことよりもシアが喜んでくれた方が嬉しかった。

シアが笑顔で褒めてくれれば、褒めてくれるほど何もかもうまくできる気がしてきたのだ。




そしてウェルデが生まれて初めて激昂する事件が起きた。

それはウェルデが13歳の時だった。


初めて気が付いたのはシアがお茶を用意してるときだった。
シアの荒れた指先にまっ白い包帯が巻かれていたのだ。
怪我なんて滅多にしなかったからすごく驚いて、すごく心配した。
「シア、シア、どうしたの?大丈夫?」
「あはは、ウェルデ様は心配し過ぎですって。ちょっと切っちゃっただけですよ」
明るく笑い飛ばすからその時はそっかと納得してしまった。
普通に考えれば、ちょっと切っただけならズボラなシアが包帯を巻くなんてことしないだろうに。



それからだろう。

シアの表情が曇ることが多くなったのは。

普段凄く元気で明るいだけあって、すぐにその変化には気づいたが、シアが大丈夫と笑っているから深く追求しなかった。





そしてある日見てしまった。


シアが罵られているところを。


「あんたウェルデ様に媚売ってんだろ」
「ウェルデ様が自分以外を嫌うように旦那様や実の母であるレシーナ様の悪口も言ってんだろ」
廊下の曲がり角で大好きなシアを見つけ声を掛けようとした時だった。
きつい口調の言葉を聞いて僕は唖然としたのをよく覚えてる。

そしてその後のシアの行動にも驚いた。

「ウェルデ様のことを今まで見向きもしなかったのは御生母様ではないですか!
心優しいウェルデ様に優しくしないで八つ当たりしていたのに今頃になって態度を変えられたのはそちらじゃないですか!」
「なにを知ったようなことを!」
嬉しかった。
とても嬉しかった。

そんなに自分のことを思ってくれてるなんて。

胸が苦しくなり、視界が滲んだ。


しかし、目の前にある剣呑な雰囲気を思い出し、止めに入ろうとしたけどあまりにも嬉しくて動けないでいた。


そのとき気づいた。
壁で見えなかったが、その人が前に歩み出たから見えた。

自分の母、レシーナだった。
老いたてみずぼらしくなったくせにそれを隠すように塗りたくった厚い化粧。
その下で醜い笑みを浮かべて背の高い母はシアを睥睨している。
身長差で下からレシーナを睨んでいたシアは突然侍女の一人に強く肩を押されて尻もちをついた。

「いたっ」

レシーナは一歩前に歩み出るとドレスの裾をそっと上にたくし上げ、高いヒールの靴でシアのお腹を上から踏んだ。

「っ!!!」
そしてそのままぐりぐりと足に力を込める。
「汚らしい娘が我が息子にせまってると聞いて。侍女の教育は妻の務めですし。・・・それをこれに」
「はい、奥様」
母が手を後ろから前に振る動作をした。

侍女の一人がバケツを手にして立っていた。


「綺麗にしないとね?」
母は後ろに下がると侍女は前に出る。
腹を抱えて蹲っているシアの上にバケツを傾けた。

ウェルデが止めに出、最近覚えた防壁の方術を展開しようと手を伸ばした時には冷水を頭からかぶっていた。


かっと頭に血が上り母が別の生き物に見えた。


「母上!!」
「ウェルデ!?」

僕は駆け寄ると水溜りの中で震えるシアを抱きしめた。
顔を覗き込むと唇を噛みしめ、明らかに水ではない雫で頬を濡らしていた。

いつもいつも笑っていて泣いているところなんて見たことが無かった。
あの明るい笑顔を奪ったこの女たちが厭らしく醜く、この世にいる中で最上に汚らしい存在に見えた。

シアが居なかったら嬲り殺していたところだ。



「貴様ら、自分が何をしたかわかっているか」
「ウェ、ウェルデ。これは貴方のことを思ってなのよ?
この女が悪いことをあなたに吹聴していると聞いて」
「ウェルデ様、奥様は貴方様のことを一身に思っての・・・!」

母と2人の侍女は見つめ合っておろおろして弁解するばかり。
汚い。
とても汚らしい。

自分はこんな汚らしい存在を求めていたのだ。
そのことに気づきぞっとし、鳥肌が立った。

「母様」
「な、なにかしら?」
「ぼくは方術が得意なんです。死に至るほどの術は少ないですが、その分、いたぶることに長けているのが特徴でもあるのですよ」
「!?」
「今度シアに手を出したらどうなっても知りませんよ。
父上の寵愛もぼくあってのもの。
あんたなんかいなくても誰も困らないのを存じた方が身のためですよ」
「っ!!」
母はかっと目を見開くと悔しそうに顔を紅潮させたあと早足にこの場を去って行った。
慌てた様子でその後ろを侍女が走って追いかけた。








「シア、シア・・・」
水溜りから抱き上げるとシアは可愛らしい悲鳴を上げた。
「ウェルデ様、大丈夫です、あたし歩けますっ」
いつの間にかシアは僕より小さく華奢な存在になっていた。
昔ならこんな風に抱き上げられなかっただろうが、今はしっかりと体を鍛えているため、こんなこと造作もなかった。
シア。
シア。
君が褒めてくれたから、喜んでくれたから僕はこんなに力を得ることができたんだ。
これは君のための力なんだ。
シア。



自室に戻り、ベットにそっとシアを下ろした。
シアは自分のせいで僕の洋服や部屋が濡れるのをすごく気にしていたが、僕がきつく言うと縮こまって大人しくなった。
その仕草が可愛かったが、お腹を擦ってるのを見て眉根を寄せた。

「待ってて、今薬箱を持ってくる」
「ウェルデ様!そんなことしなくて平気ですっ」
「いいから、いいから」

鍛錬でけがをすることなんて日常茶飯事。

簡単な応急処置位は自分でやっていたため、部屋には薬箱を常置していたのだ。

治癒の術を習ってはいたが、中途半端な術者が治癒を施すと、対象も術者にも悪影響が出る場合があった。
こんなことならばもっと真面目に励むのだったと唇を噛みしめる。



タオルと薬箱を持って寝室に戻る。
シアは侍女の制服であるエプロンと黒いワンピースを脱ぎ、ブラウスとスカートの姿になっていた。
隣に座ると湿って色が変わったリボンに手を伸ばす。
その腕をシアが掴む。

「・・・ウェルデ様?」
「ん?」
「なにを?」
「治療を」
「自分でできますから」
「いいから」
「ウェルデ様・・・あのですね」
「うん」
「これは告げ口とかではないですからね?」
「うん?」
「結構前からこういうのあって、その、傷とか痣とかたくさんあってですね、見られたくないというか」
「ふーん」
「って、聞いてます!?」
「うん、聞こえてるよ」
ウェルデは途中までは大人しく話を聞いていたが、気にすることではないと腕に力を込める。
というか大事なシアが怪我をしているなんて、どのくらい酷いのかこの目で確認したかった。

「聞こえるんじゃなくて聞いてください!」
「シア、煩いよ」
「・・・・すみません」
「ふふ、いつもと立場が逆転したね」
「今だけですよ!」
ボタンを外し、前を開ける。
簡素な下着が現れ、豊満な胸元が露わになる。

「・・・意外に胸があるんだな」
「凝視しないでください!」
くるりと背中を向けると縮こまってしまう。
可愛らしくて笑う。
そっとシャツを下ろすと背中のいたる所に青あざや擦り傷ができていた。

見慣れたそれらだったが、シアの体にあると、ウェルデの感情を大きく揺さぶるものだった。
「っ・・・」
「ほ、ほら。汚いですからやっぱり・・・」
「汚くなくない」
逃げようとしたシアの腕を捕まえて引き戻す。
くるりと前を向かせてシャツをはぎ取った。
「あ!」
へその上あたりが青黒く染まっていて見るからに痛そうだった。
顔を赤くして俯く。

大人しくなったので傷の一つ一つに薬を塗りこんでいく。
切り傷や擦り傷。
殴打には別の薬を塗り、布を当てる。

切り傷や擦り傷は沁みるのか、薬を塗りこむ度に体を震えさせていた。
一通り終わるとシアはシャツを着ようとしたので止める。
「お、終わったんじゃあ」
「濡れたシャツ着たら風邪をひいてしまうだろう?」
「でも・・・」
「はいはい、落ち着いて」
立ち上がるとクローゼットから自分のシャツとベストと半ズボンを持ってきた。
「大きいだろうけど、取あえずはそれで」
「・・・ふふ」
「なに?」
「ウェルデ様は凄く立派になって、あたしは凄くうれしいんです」
受け取った洋服を胸に抱きこみ、いつもとは少し違う柔らかい笑顔を見せた。
僕は雰囲気の違うその笑顔に見とれてしまい、シアが背中を向けて着替えを始め、いつまでも見ていることに気づいたシアに怒られるまで動けなかった。




それから急速にシアが愛おしくなった。


親愛から愛情に変わった。

凄く愛らしく、美しく見えるようになった。


恋をした。








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